坂口總一郎と
植物標本について
博物学者
坂口總一郎
1887 - 1965
人物紹介
坂口總一郎(1887-1965)は、和歌山県出身の博物学者・教育者で、岩崎卓爾、黒岩恒と並び、沖縄の自然研究史を語る上で欠かすことのできない人物です。坂口は、1920年から1925年の5年間、沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)で教鞭をとる傍ら、県内各地で精力的に植物を調査し、その記録に基づき『沖縄植物總目録(1924)』を出版しました(参考文献1)。これは、沖縄産植物の産地を明らかにした初の植物目録であり、その後の沖縄の植物研究の土台となっています。
標本について
坂口が沖縄で採集した植物標本は、京都帝国大学(現京都大学)の小泉源一博士に送られたほか、一部は東京帝国大学(現東京大学)にも送られましたが、和歌山県の自宅にも当時の新聞に挟んだ状態で日本各地の植物標本とともに残されていました。残念ながら坂口宅の裏山の土砂崩れにより標本の大半が失われましたが、幸いにもご遺族によって一部が倉庫に保管されていました。沖縄には戦前の植物標本がほとんどありませんが、坂口が和歌山へ持ち帰り、大切に保管していたおかげで、沖縄戦の戦火を免れ現在まで保存されていたのです。
寄贈された経緯
坂口家に戦前の沖縄産植物標本があることが分かったのは、2005年のことでした。当時沖縄県教育庁史料編集室で沖縄県史編集に携わっていた当山昌直が、戦火を免れた近代沖縄の新聞を探す中で、これらの植物標本とそれを挟んでいる新聞の存在を知り、ご遺族のご厚意で沖縄県へ寄贈されたのでした。新聞のうち、沖縄で発行されたものは当山らの手によって抜き取られるとともにデジタル化され、戦前の沖縄を知るための貴重な文献資料となっています。その後、抜き取った沖縄の新聞は歴史資料として、残った植物標本(以下「坂口標本」)は自然史資料として沖縄県立博物館・美術館(以下「当館」)が所蔵することとなりました。
標本の整理
「坂口標本」には、前述の『沖縄植物總目録(1924)』の根拠となった標本が含まれていると推測され、戦前の沖縄の自然を垣間見ることができる学術的にも大変貴重な標本群であると言えます。しかし、標本自体も、それを挟んでいる新聞も、すでに劣化が進んでおり、保存状態の改善が急務でした。そこで当館では、2020年より「坂口標本」から沖縄の標本を抽出・整理し、台紙に貼り付ける作業を進め、目録にまとめました(参考文献2・3・4)。
「坂口標本」から分かること
今回の整理作業をとおして、「坂口標本」の中には、当時採集された地域において現在では生育が確認できない種や、絶滅が危惧される種が少なからず含まれていることが明らかになってきました。「坂口標本」は、約100年前の本県の自然環境の姿を知る手がかりとして大変重要な資料であり、今後も継続して調査研究を進めるとともに、確実に保存・管理し、次世代に引き継いでいく必要があります。
このアーカイブについて
今回整理した標本は、当館の収蔵庫に大切に保管し、研究資料として世代を超えて活用されることになるでしょう。戦火を免れ、約100年の時を経て甦った貴重な標本ですから、本来ならば広く一般の皆様にもご覧いただくべきところですが、残念ながら大変デリケートな資料であるため、それは難しい状況です。そこで、研究者のみならず、誰にでも気軽にご覧いただけるよう、このアーカイブを作成しました。ぜひ多くの皆様にご覧いただき、沖縄の自然について考えるきっかけにしていただければ幸いです。
※その他詳細については、以下参考文献をご参照ください。